2012年05月29日

グロテスクが魅力的すぎる身も蓋もない理由:GANTZ

GANTZ

無意味とグロテスク


人気コミックだと知りつつ、ページを繰ると凄惨な殺戮シーンがひしめいて、なんとなく避けていた作品。SNSで再認識し、dvdもいい具合に古くなってきたということで、あらためてチャレンジしました。
コミックは刊行されてる巻まで一気読み、つづいて映画も前後編、続けて見ました。

いやー、面白い。

特にコミックのほうは大迫力の戦闘シーンと、それに付随するグロ満載、それを巨乳美少女のほんのりエロが和らげます。恋愛あり友情あり、いろんな要素をちりばめて読み手を引きずり回してくれちゃいます。
もちろん「GANTZ」と呼ばれる黒球もひとつの謎として、ページを捲らせる要素になってます。

それにしても、何なのこのGANTZのミスマッチなおとぼけ感?

GANTZ

けど本作、黒球GANZSの謎解きがメインのサスペンスストーリーではないんですよね。むしろ作者はそういう方向には冷淡な印象。
物語が進むにつれ、主人公の玄野たちはGANTZを理解していきますが、それはGANTZが「何であるか」ということよりも、「どんな要求・ルールを課してくるのか」、という方向で展開していく。
GANTZの正体はいつまでたっても置き去りのままなので、玄野たちの戦いも宙ぶらりん状態に置かれっぱなしです。
たいていの少年マンガの戦いには、いちおう意味がありますよね。戦いを理由づける意味・目的が。けれどもGANTZではそれが不明。何のために、どうして戦っているのかがわからないので、そこには根本的な不条理さが刻印されてしまう。

で、このことがGANTZのグロテスクな表現を、独特の仕方で際立たせます。
例えば『北斗の拳』で悪漢が「ひでぶっ」と破裂するグロテスクなシーンには、悪への懲罰という意味があります。どんなに残酷であっても、いやむしろ残酷であるほど悪の腐臭は極まり、カタルシスも大きくなります。でもGANTZのグロはそんな風に理解することはできない

玄野たちの最初のGANTZチームは「ねぎあげます」と怯え、逃げ惑うネギ星人の子どもを、テレビのドッキリなのかリアルなのかすら半信半疑のなか、よってたかって惨殺してしまう。戦いに意味の覆いをかぶせることができないので、読み手はグロテスクなシーンそのものを、素のまま見せつけられることになります。まさにそれこそが狙いであるかのように、凄絶なシーンは細部まで描き込まれている。


耐えがたいゲーム的軽さ、の面白さ


また、意味づけが外されていることで、GANTZチームの戦いは不毛な切迫さも帯びることになります。彼らの死は何かに殉じた崇高なものではあり得なくて、単なる犬死に、ゲームオーバーでしかない。

玄野たちはやがて仲間を助けたり生き返らせるといった目的を自分たちの戦いに見いだしていきますが、事態の根本が不条理であることにかわりはなく、ゲーム的な枠組みが根底から払拭されることはありません。
GANTZの命令のいい加減な文字唐突なラジオ体操の音楽寸評のどうでもよさは、凄惨なシーンが続く中で彼らの戦いの根本が滑稽で意味のない、遊戯的なものであることを思い出させます。

この遊戯的な性格は、物語の内容だけでなく作劇上の方法にも伺われます。
実は原作の中盤にはGANTZの謎を解くエピソードが描かれているのですが、GANTZこそがこの作品世界を開く最も根幹の謎であることを考えると、その謎解きにはちょっと拍子抜けするというか、肩すかしを食らったようなものたりなさを感じざるを得ない。あくまで物語のなかのエピソードのひとつ、という位置づけで、作品全体を支配する謎に応えるものではない。言い換えれば、玄野たちの戦いに十分な意味を与えられるものではないのです。

実際、GANTZの正体がわかった後も、その前と同じように玄野たちの戦いは繰り返されます。謎明かしの前も後も、本質的には何も変わらない。GANTZについてわかったからといって、それが何だという感じで、原作は今でも進行している。

GANTZの謎に限らず、物語をひとつの意味に収斂できそうなトピックはほかにもいろいろあります。玄野と加藤の友情ヒロインとの恋愛チームでの協力など、通常の作品であれば立派に中心として機能できるテーマだと思うのですが、作者はそのどれにも特権的な位置を与えず、ただページを繰るための一要素として、ストーリーに自由に組み込んできます。逆に中心テーマになりそうな要素を相対的に扱うことで、作者はテーマの縛りから解放され、その場の流れで物語を自在に紡ぐことができる、そんな風にも見えます。
読み手のほうはと言えば、根本的な意味は宙ぶらりんながら、いや、かえって宙ぶらりんであることにも促されて、その場その場のトピックに巻き込まれ、読み進めることになる。
こんな軽快な自由さは、どこかで見たことがある登場人物・星人たちの、引用を思わせる設定からも感じられます。


グロテスクな作家の視線


さてここで、本作の顕著な特徴(魅力?)でもあるグロについて、もう一度考えてみます。
グロテスクといえばまず表現のどぎつさが思い浮かびますが、そのどぎつさは、普段はタブーとして覆い隠されていることをあえて目の前に晒す時に生じるのだろうと思います。
例えば人体は普通、物質と精神の融和した尊い存在である、とみなされていますが、破壊されれば単なる肉片、物になり、成り行きの全てを自然法則に委ねざるを得ない。戦いにおいて破壊された身体は、尊厳などとは全く関わり無く、引き裂かれて散らばり、転がって行きます。

作家の視線には、こうしたリアリティへの冷徹なまなざしが感じられます。
出世のきっかけになったと作家自ら回顧する乳輪の残像表現や、体幹からもてあまされた巨大な乳房の自律した動きっぷりなども、肉体が物理法則に委ねられているという視線から、ごく自然に生まれてきたのかも知れない。そのグロテスクなありようが、独特の仕方でエロティックな感覚を刺激しているような気がします(単に自分が変態なのか?)

また、通常のマンガならあり得ないようなシーンも散見されます。
正義っぽいキャラクターがチンピラにボコられ、ひざまずいて泣きながら赦しを乞うなどは、現実世界ではあり得るとしても、そこは描いちゃいけない・覆い隠しておかないと耐えがたい、というようなシーンです。
このあたりにも読者の常識的な感性、暗黙のイデオロギーをさかなでするようなどぎつさがあり、やはりグロテスクです。


GANTZを謎のまま理解する


ところで、こんなGANTZの世界、原作はまだ進行中ですが、映画では前後編に分けつつひとつの作品にまとめています。
残念ながらコミック版GANTZの最大の見所である視覚的な表現は、期待に十分見合うものではありませんでした。ストーリーにおいても、まだ完結していないものをひとつにまとめなければならなかったので原作に忠実に作るというわけにもいかず、これらのことで原作ファンには激しく不満が残る作品になってしまったようです。
GANTZの謎についても明かされず仕舞。映画だけを見た人にとっては、ほんとに最後までわけがわからなかったかも知れない、と思います。

でも自分はGANTZの謎が明かされなかったことによって、原作を含めたGANTZの世界がかえって理解しやすくなった気がしました。GANTZは戦いを促し、ルールを強制してくるひとつの謎だと考えると、かなりスッキリ腑に落ちた(もちろん自己完結的に、ですが・笑)。


タブー化された、いまここにある謎


ある日突然、無機質な部屋に集められ、今日からあなたたちは互いに競い、別に協力してもいいけれど、とにかく戦うのですよ、と示唆される。戦いの意味も教えられず、敵を倒すことの正義も定かでないまま、目の前にふりかかってくる難題をこなすことを要求される。うまくやれば生き残れるが、失敗したり逃げ出そうとすれば存在が否定・消去されてしまう。
戦いの結果は寸評され、点数をつけられる。一方的に点数をつけてくるのはなんとも正体不明の、ハリボテ感ただよう権威。


・・・初めて学校に通うことになった日のことを思い出しています。
もっと遡れば、今日から幼稚園に毎日通うのですよ、と宣告された時の違和感も忘れられない。
それまでの自由で幸福だった時間は失われ、これから先ずっと学校に通い、やがて会社に行くのだな、そうやって生きて行くしかないのだな、、、どこかに他の道はないんだろうか、子どもながらそんな風に感じてしまいました。
この記憶はけっこう鮮明です。

一度その場に身を置けば、あとはやるかやられるか。競争を放棄すればそこには象徴的な死が待っています。勝つためには他人を蹴落とす狡知を使わねばならず、勝てば勝ったで、どんなに敵が哀れでも冷酷にケリをつけなければならない。
戦いの本質的な意味は誰も教えてくれないし、知りもしない。なぜ競うのか、なぜ相手を排除しようとするのか、その根本は謎のまま、誰もあらためて考えることをしない。
人間の知恵をうまく使いさえすれば、そんな世界ではない世界を実現することだって可能かもしれないというのに、知恵はもっぱら目先の戦いを勝ち抜くことにのみ使われる。

確かに学校は戦いだけの場ではないけれど、戦わされることはやはり否めません。
なぜそこに集められ、やりたくもない競争に身を晒さなければならないのか、、、。会社となればこの負の側面はいっそうあからさまになってきます。他社との競争、社内での競争、、、。

GANTZという作品の魅力は、この構造に根っこをもっていると思うんです。
玄野たちが巻き込まれた不条理な世界は、私たちが置かれている現実の隠喩になっている。目の前の問題に懸命になることで根底的な謎を問うことを避け、激しく残酷な戦いに、それこそ全力で身を置きつづけている自分たち。戦いの意味を問うことは暗黙のタブー。そんな状況をGANTZの世界はけっこう正確に写し、はっきりと晒している。宙ぶらりんな戦いから目を離せなくなってしまうのは、ほかならぬ自分たちが同じ状況にあるから・・・。

いずれにせよ明日もまた、お父さんたちは家族を守るため、子どもたちは次のステージに上がるために、戦いにおもむきます。その根本的な意味や、戦いを促しているものが何なのかについては問うことなく。

あーたーらしい、朝が来た、、、

さあ、いってくだちい!(笑)


ヒロインチェック


GANTZのヒロインといえば、岸本を最初に挙げるのが順当で、映画版では夏菜ということになるのでしょうが、ここは独断でレイカ役の伊藤歩さんを貼ります。
いいだろ、文句言うなー(^^;)

GANTZ
posted by typo at 12:44| Comment(4) | 日本で映画化されたj-comic | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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